2020.12.16

ヘンリー幸田先生の思い出

今日12月16日は,ヘンリー幸田先生の命日である。先生が亡くなったのは6年前の2014年。仏教だと今年は7回忌にあたる。

【生かせ!知財ビジネス】「日本にエジソン博物館が夢」 幸田氏を偲ぶ2015.3.14

私は幸田先生と仕事をしたことはないし,教え子だったこともない。会ったのはわずか4回。しかし先生は私にとってとても大きな存在である。

 

最初に会ったのは1990年。私は大学生だった。そのときのことを,先生が亡くなった1年後の2015年12月に私はツイートした。

 

2回目に会ったのは東京。ある知財系の知り合いから,ヘンリー幸田先生がパテントサロンの運営者に会いたいと言っている,との連絡をもらったので会いに行った。ロサンゼルスで最初に会ってから十数年ぶりの再会である。先生は私のことを覚えているだろうか? このとき私はパテントサロンの運営者として会いに行くのであって,学生の時にロサンゼルスに会いに行ったという情報は先生には伝わっていない。

九段下にあるホテルのロビーで再会した。先生は,これまでは主に米国で仕事をしてきたが今後は日本でも仕事をする,日本の大学で教鞭をとる,などの話をされた。そしてしばらく話をした後,私は恐る恐るきいてみた。「先生,実は私は1990年に先生に会いにロサンゼルスに行ったのですが…」

先生は私と会ったことを覚えていなかった。しかし私は全く悲しくはなかった。というよりむしろちょっと嬉しかった。先生は,私の様に誰の紹介もなく突然会いに来るような学生にしっかり時間をかけて話をしてくださる方である。このような方であれば,私のようなケースはたくさんあるはずだ。記憶に残らないくらいたくさん。私はそう思っていてその通りだったので,それが嬉しかったのである。事実,ずっと後の2018年2月,ある知財系の集まりで一緒になった方から,私も同じように幸田先生に会いに米国に行ってたくさん話をしていただいた,という話を聞いて,2人で感動しまくったということがあった。

 

そして3回目。先生から会いたいと連絡をいただき,パテントサロンのオフィスの最寄り駅である表参道駅で待ち合わせをした。そこで先生と会い,私が「じゃあ近くのお店に入って話をしましょう」と言うと先生は「なんだよ,オフィス見せてくれないのかよ,オフィスに行こう」と言われたので,2人でオフィスに向かった。

先生の話は,今度日本にブランチを作るのだけれど,そこで仕事をしてくれるよい人を知らないか? という話だった。2人で人財に関していろいろ話をした。パテントサロンへの求人広告掲載の依頼もいただいた。しばらく話をした後,私は恐る恐るきいてみた。「先生,私が先生に会いにロサンゼルスに行くきっかけになった先生の本『アメリカ特許事件ファイル 日米ビジネス戦争』があるのですが,これにサインしていただくことはできないでしょうか?」,「いいよ,持ってきなさい」。おおー,私は浮かれて本を渡し,サインをしていただいた。そして再び恐る恐るきいてみた。「先生,私はロサンゼルスから戻ってリコーに入社して知財の仕事をしたのですが,そのとき何度も読んだ先生の本『米国特許法逐条解説』があるのですが,これにもサインをしていただくことはでき…」,「持ってきなさい」。おおおー,私は浮かれて本を渡し,サインをしていただいた。これらの本はいまもパテントサロンのオフィスにあり,私の宝物である。

 

そして4回目。2014年10月11日。私は知り合いから依頼をいただき,知的財産マネジメント研究会 Smips が主催するイベントで講演を行った。いくつかある分科会の中のひとつでの講演だったのだが,このときの全体セッションの講演者が,なんと,ヘンリー幸田先生だったのだ( 第161回 知的財産マネジメント研究会 )。

幸田先生と同じイベントで講演するということで,私はかなり興奮した。自分が講演しているときも,別会場にいる幸田先生がずっと気になっていた。ちなみに,このときの幸田先生の講演テーマは「これからの日本企業のとるべき知財戦略」。そして私の講演テーマが「IPとITでカジュアル起業 ~本当に好きなことで稼ぐ~」。テーマの大きさとか重さの対比がおかしかった。

講演は別会場で行われたので,ここで先生に会うことはなかった。しかしイベント終了後,六本木通りに面した地下のお店で開催された二次会(?)に参加して飲んでいたところ,そこに幸田先生がいらっしゃった。私はすぐにあいさつにいった。たくさん話したかったのだけれど,そこには多くのイベント参加者がいて,今夜の主役はその参加者の方々なので,私は離れた席から先生の方をチラチラと気にしながら飲んでいた。そして二次会が終了し散会するとき,私は先生のところに行き,あいさつをした。「また連絡するから」。先生はこう言ってくださった。

 

この年2014年は,私にとってプライベートで特別な年だった。4人の両親(実の両親・義理の両親)のうち,2人が病気で他界し,1人が大病をするという年だった。私は当時九州に住んでいた両親の元に何度も通い(マイルがたまりまくった),年の半分近くは東京を離れているという生活をしていた。そして12月,九州の両親の家で Twitter を眺めていると,幸田先生が亡くなった,という情報が流れてきた。あわてていろいろ調べるけれどなかなか情報が見つからない。バタバタしているうちに,知人から,幸田先生が12月16日に急死されたこと,通夜と告別式が行われること,を知らせる連絡が届いた。

12月23日,前日に東京に戻った私は告別式に参加した。多くの方が参加されていた。全員が急死されたことに驚き,動揺しているように見えた。喪主である幸田先生の奥様があいさつをされたが,先生が亡くなったことをまだ実感できていないように見えて,私は心が苦しかった。告別式の2日後,12月25日に私の父が他界した。

 

幸田先生とは4回しか会っていないのだけれど,私にとって大きな存在である。中でも,誰からの紹介でもないどこの誰かもよくわからない学生がいきなり会いたいと手紙を送ってきた,という面倒なことにしっかり対応してくださったことは,いまでも頻繁に頭に出てくる。普段仕事やプライベートで,ちょっと面倒な相談やちょっと気が乗らない話が来たとき,「いやいや幸田先生はあんな面倒なことにしっかり対応してくださったのに,俺とかがこんな小さなことで面倒なんておかしいだろ」と頻繁に頭に浮かんでくる。あー,この話を先生にしたかったな。

先生ありがとうございます。

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